盛岡家庭裁判所 昭和33年(少イ)1号 判決 1958年12月22日
被告人 足立一彦 外二名
主文
被告人らはいずれも無罪。
理由
本件公訴事実の要旨は、「被告人足立一彦は太平工業株式会社釜石支店の工作課長であつて、同課所管の作業、労働者にたいる指揮監督、労働条件についての指示などをする地位にあり、被告人祝田昭二は釜石市平田町にあつて貨車の修理作業を営むみぎ釜石支店平田工場の現場主任であつて、同工場でする修理作業および労働者にたいする指揮監督など一切についての責任者の地位にあり、被告人佐藤善太郎はみぎ平田工場の世話役のほか製罐工を兼ね、労働者の作業割当や配置およびその監督などに従事しているものであるところ、被告人ら三名は別紙一覧表に記載のとおり、昭和三二年九月下旬ごろより同三三年二月二三日までみぎ平田工場の作業場において、満一八歳に満たない及川勝悦ほか六名をカーバイトを取り扱う業務で発火のおそれのある浸漬式アセチレン発生器のカーバイト詰替作業に従事させたものである。」というにある。
よつてみぎ公訴事実を、(1)被告人らの地位および職務内容からみて、同人らが労働基準法第六三条第二項の行為主体である使用者に該るか(2)別紙の一覧表(以下たんに「別表」という。)に記載のとおり及川勝悦ら六名の者が公訴事実に記載のようなカーバイトを取り扱う業務で発火のおそれのある浸漬式アセチレン発生器のカーバイト詰替作業(以下たんに「詰替作業」という。)に従事したか、(3)みぎ作業に従事したとすればそれは被告人ら三名がこれに従事することを直接または間接に指示しもしくは命令したものか、という三点に分けて考察する。
被告人ら三名の当裁判所の第二回公判期日における各供述、被告人ら三名の検察官にたいする各供述調書をあわせ考えると、被告人足立一彦は昭和二一年一月ごろ太平工業株式会社(以下たんに「太平工業」という。)に入社し本社に勤務していたが、同三〇年一二月ごろ同社釜石支店に配置替となり、同三二年六月ごろ新たに設けられた同支店工作課長に任命され、同支店長の統轄のもとに工作課および同課の管轄に属し釜石市平田町にあつて同支店の貨車修理作業を行う工場(以下たんに「平田工場」という。)の作業の総括的指揮、工員の人事、経理その他の業務一切について指示をする責任者の地位にあり、被告人祝田昭二は同二七年八月ごろ太平工業釜石支店に入社し、同三二年五月ごろ新らしく同支店平田工場ができてからのちは同工場の現場主任となり、爾来工作課長の補助者として同工場における事務、資材関係の業務、工員の配置や作業の監督指導などに当つており、被告人佐藤善太郎は同二九年二月ごろ太平工業釜石支店に入社し、同三二年六月ごろより平田工場において現場主任の指揮をうけながら親方と称する工員の世話役および工場現場の総指揮者であるいわゆる棒心として同工場関係の工員の配置や作業の指示監督などに当つていたことが認められる。そして以上の認定事実によれば、被告人らはいずれも労働者である工員の人事あるいはその管理など労働者に関する事項について事業主たる太平工業の利益のために行為した者というべきであるから、労働基準法第六三条第二項にいわゆる使用者に該当するといわねばならない(同法第一〇条参照)。
つぎに釜石市長作成の及川勝悦、松下静雄、岩鼻功、日下忠男、佐々木秀人、佐藤正弘についての各戸籍抄本および同市長作成の高見和弘についての住民票抄本によると、公訴事実のうち別表に記載の及川勝悦ほか六名の生年月日がそれぞれ同表に記載のとおりであることが認められ、かつその事実に当裁判所の証人及川勝悦、松下静雄、岩鼻功、日下忠男、佐々木秀人、佐藤正弘、高沢朝次郎、帷子弘、石田鶴助、柏舘貞夫にたいする各尋問調書、及川勝悦、松下静雄の検察官にたいする供述調書各二通、岩鼻功、日下忠男、佐々木秀人、佐藤正弘、帷子弘の検察官にたいする各供述調書および釜石労働基準監督署作成の死亡災害調査報告書と題する書面をあわせ検討すると、公訴事実記載のとおり別表に記載の日時ごろ前示平田工場の作業場において、当時それぞれ未だ満一八歳に満たない及川勝悦ほか六名が詰替作業に従事し、その回数が別表に記載のとおりであることが認められる。
よつて進んで、及川勝悦ほか六名がみぎに認定したような詰替作業に従事したのが被告人らの直接または間接の指示もしくは命令によつてされたものであるかどうかについて、まず被告人らの当裁判所における供述および検察官らにたいする供述調書の記載をみるに、(イ)被告人足立一彦は当裁判所の第一回公判期日において、「公訴事実のうち自分に関係する部分は全部そのとおり認める。」と述べているが、他方同じ機会に「公訴事実のうち別表に記載の満一八歳に満たない年少者が詰替作業に従事しているのを見たことはあるが、日時や回数など細かいことについてはよく覚えていない。」と供述しているから、その供述の全趣旨からいえば公訴事実を自白しているものということはできない。またみぎ被告人は当裁判所の第二回公判期日において、「別表に記載の年少者たちが詰替作業をしているのを昭和三二年九月ごろに四、五回見かけたこともあるが、その年少者の氏名、日時は忘れた。また現場を見廻つているさいにアセチレンガスがなくなつていることが見受けられたのでその場に居合せた者にたいして詰替をさせたことが一、二回あるけれども、誰に命じたかその氏名を覚えていない。被告人祝田や同佐藤らに対し年少者に詰替作業をやらせてもよいと命じたこともなければ、禁止したこともない。」と供述しており、また同被告人の検察官にたいする供述調書には、「私は平田工場には昭和三二年末ごろまでは一週間に一度ぐらい監督のために行つていたが、同三三年になつてからは一〇日に一度ぐらい行つていた。年少者が詰替作業をしているのを何回も見かけたことはあるが、それを禁止したり禁止するよう指示したりしたことはなく、そのままやらせていた。」と供述しているにすぎないから、結局実質的にみると同被告人が公訴事実のうち自己に関する部分を自白したことはないことになる。また(ロ)被告人祝田昭二は当裁判所の第一回公判期日において、「起訴状に記載の事実は全部認める。」と述べながら、同時に、「現場においては私の目の届かない範囲もあるので、別表に記載の日時、回数についてはよく判らない。」と供述しているから、その供述の全趣旨からいえば公訴事実を認めているとはいえず、そのほか同被告人の当裁判所の第二回公判期日における供述、同被告人の検察官および労働基準監督官にたいする各供述調書にも公訴事実の内容を具体的に認めている部分はないので、結局同被告人もこれまで公訴事実のうち自己に関する部分を否認していたことに帰する。さらに(ハ)被告人佐藤善太郎は当裁判所の第一回公判期日において、「公訴事実はだいたい認めるが、別表に記載の年少者が詰替作業に従事した日時、回数はよく憶えていない。」と供述しており、そのほか同被告人の当裁判所の第二回公判期日における供述、同被告人の検察官および労働基準監督官にたいする各供述調書においても公訴事実の内容を具体的に認めている部分はないので、同被告人もまたこれまで公訴事実のうち自己に関係のある部分はこれを否認していたというほかはない。
しかしてその他の全証拠を詳細に検討してみても、被告人らが別表に記載の及川勝悦ほか六名にたいして詰替作業に従事することを、直接または間接に指示し、もしくは命令したことを認めるに足る資料がないばかりでなく、かえつて当裁判所の証人及川勝悦、松下静雄、岩鼻功、日下忠男、佐々木秀人、佐藤正弘、高沢朝次郎、帷子弘、石田鶴助、柏舘貞夫にたいする各尋問調書、及川勝悦、松下静雄、岩鼻功、日下忠男、佐々木秀人、佐藤正弘の検察官および労働基準監督官にたいする各供述調書(ただし及川勝悦、松下静雄の検察官にたいする供述調書はそれぞれ第一回分のみ。)ならびに高沢朝次郎、石田鶴助、柏舘貞夫の労働基準監督官にたいする各供述調書を総合すると別表に記載の年少者及川勝悦ほか六名が詰替作業をしたのは、いずれも同人らの所属する組の小棒心と称する組長の地位にある工員あるいは先輩の鉄工と称する工員から詰替を命ぜられたり、もしくはみぎの年少者らが見よう見真似によつて詰替の必要な時期を判断して自発的に詰替作業にあたつたものであり、ことに被告人らがみぎ年少者らにたいし詰替作業をすべき旨を直接指示しもしくは命令しあるいは小棒心や鉄工にたいし年少者らにこれをさせるように指示しもしくは命令した事実のないことが認められる。
検察官は、被告人らの前示のような所為は労働基準法第六三条第二項、女子年少者労働基準規則(昭和二九年労働省令第一三号)第八条第二九号の規定に違反し、労働基準法第一一九条第一号に該当すると主張するが、がんらいみぎ労働基準法違反の罪は満一八歳に満たない年少労働者は幼弱にして注意力ないし抵抗力の乏しいのが通常であるため、安全、衛生または福祉に有害な場所における化学的危険業務に就かせることを禁止することによつて危害の発生を未然に防止し、年少労働者の生命または身体の安全を保護しようとする行政目的にもとづいて規定されたものであるが、その罪の成立とくに行為主体の責任につき同法あるいはその他の法律に特別な規定がないから、労働基準法第一一九条第一号による処罰がなされるためには使用者じしんが故意にもとずく所為をもつて同法第六三条第二項、女子年少者労働基準規則第八条第二九号の規定に違反することを要し、使用者の過失ないしは無過失による犯罪の成立を認めるものでないことは法文上疑問の余地がない(労働基準法第一二一条参照)。また被告人らの所為がいわゆる不作為による作為犯に該当するものとして起訴されたものでないことは前にあげた本件公訴事実からみても明らかであり、かつこれを肯認するに足る証拠もない。そのゆえに当裁判所は検察官にたいして訴因の変更を命ずることをしなかつたのである。
そうすると、前示のように被告人らが別表に記載の及川勝悦ほか六名にたいして詰替作業に従事するよう直接または間接に指示しもしくは命令したことが認められない以上、本件公訴事実は結局犯罪の証明がないことに帰するので、刑事訴訟法第三三六条にしたがい被告人らにたいしいずれも無罪の言渡しをすることとし、主文のとおり判決する。
(裁判官 岡垣学)
(別紙)
一覧表
氏名
(生年月日)
(従事させた日時)
(回数)
及川勝悦
昭和一五年四月一七日生
昭和三二年九月下旬ごろ
同年一〇月中旬ごろ
同年一一月中旬ごろ
同三三年一月中旬ごろ
同年一月二〇日ごろ
一
二
二
一
一
松下静雄
同年七月四日生
同三二年一一月中旬ごろ
同年同月下旬ごろ
同年一二月初旬ごろ
同年同月中旬ごろ
同三三年一月初めごろ
一
一
一
一
一
岩鼻功
同一六年一〇月三一日生
同三二年一〇月中旬ごろ
同年一一月初旬ごろ
同年同月下旬ごろ
一
一
一
日下忠男
同一五年九月一日生
同年一一月中旬ごろ
同年同月下旬ごろ
同三三年一月初めごろ
同年同月初旬ごろ
同年同月中旬ごろ
一
一
一
一
一
佐々木秀人
同一六年四月一六日生
同三二年一〇月中
同年一一月中
同年一二月中旬ごろ
同年同月下旬ごろ
同三三年一月一五日ごろ
一
一
一
一
一
佐藤正弘
同年九月一九日生
同三二年六月中
同年七月中
同年八月中
同年一〇月中
同年一一月中
一
一
五
一
一
高見和弘
同一五年九月二九日生
同三三年一月二三日
一